2007年 08月 03日
久々の妄想城南紀行 初めての店に行く編
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ある日、携帯電話が鳴る。一体誰だ。
「もしもし」
「iだ。G大にいる」
「す、す、すみません。きょうは愚息の具合が悪く、早めに在宅勤務に切り換えてしまいました」
一瞬の間。
「っ、ハハハハハ。頑張り給へ。市井の民はやることが多くて大変だな」
「恐れ入ります」
「近々」
というと電話が切れた。
近々、を放っておいてはいけない。それが私がi氏と付き合いながら学んだことだ。
翌日。すかさずi氏の携帯宛にメールを打つ。
「S谷にご一緒したい店があります。いかがですか」
もちろんその日はうんでもすんでもない。それでいいのだ。
が、しかし。翌日返信がやってくる。
「携帯の電池が切れていた。その日は事務所いる。何という店だ」
ここは少しばかり意地悪をして教えない。
「私も初めて行く店です。偵察隊ということで。お楽しみに」
何の返信も来ないのだが、ムッとした雰囲気が携帯から伝わってくるのはなぜだろう。
当日。A学院の西門前で待ち合わせる。少しばかり早く着いてしまったので、昔よく行ったBAR、Vレイのあたりを散策してみる。ややや、Vレイではなくなっているぞ。ふらふらと西門の前に戻る。守衛がこちらを疑いの目で見ている。
しばらくすると、反対側の通りを歩いてくる髭面の男が目にはいる。i氏だ。手を挙げて、信号をこちら側に渡ってこなくていいと合図する。私が車の途切れるのを待って信号無視をし、氏のもとへ駆け寄る。
「痩せたか」
「いえ。きょうはだぶだぶのシャツを選びましたので、それでかと」
氏はすでにどちらへ向かうのだという顔をしている。私が痩せたかどうかなど、実際にはこれっぽっちも興味などないのだ。まじめに応えて損をした。
「このあたりにBARがありましたよね」
「おおVレイか」
「そうです。あのBARはどこへどこへいってしまったのですか」
「このあたりのビルに入ったはずだ」
そういわれてサッと見回すが、よく分からない。今度探してみることにしよう。
さて大きな交差点を渡って右に折れれば、もう目指す店はすぐそこだ。ちょうど開店したようだ。
「ここです」
「うむ」
S幹というその店の階段を下りていく。扉を引いていいのか、押していいのか、はたまたスライドさせるのか分からずにいると
「引け」とi氏。
少し風圧がかかっていたのか、指示通りにもう一度引いてみると、重たげに扉が開いた。
レジにいた男性が迎えに出てこようとしていたので、予約した旨伝えると、大きなカウンターの中央の席へ案内された。今日の最初の客である我々が大きなコの字型カウンターの中央にぽつねんと案内されるのも不思議な気がした。
「このカウンターの感想を聞きたかったのです」
巷では、東京一大きなカウンターだとか評判が立っている。それで、i氏がそれをどう表するか、見せてみたかったのである。
しかし、何も言わない。いつも店の造作などについては、第一印象でものを言うのではなく、専門的な吟味を加えてからしか思っていることをいわない。この沈黙が怖いのである。本当に何も言わないのだ。
しばらくしてi氏がポツリと言った言葉。
「輸入材だな」
「もう少し奥行きが欲しい感じですね」
「うむ。あと二百だ。それがないからいっそう○○っぽい」
先ほどメニューを渡してくれた若い板前の彼が
「お飲み物はいかがいたしますか」と聞いてくる。
「Yビスの生」とi氏。
「私も」と追随する。なにせ今日もたくさん歩いたのだ。
細かな泡立ちの生ビールが、オープンキッチンの更に奥にあるバックヤードから運ばれてくる。なかなか旨い。
さて、料理はどうするか。
「お任せのコースにしますか」と水を向けると
「うむ。そうだな」とi氏。
最初に出されたのは、苦瓜のスープである。私としてはかなり苦みを抑えてあるなと思ったのだが、i氏は「けっこう苦いね」と若い板前に話している。それから続いて朧豆腐が出てくる。
「納豆醤油になっています」と彼。
一口啜ると、なるほど、醤油に納豆をすり潰して入れているのである。これはなかなか好きだ。
このあたりでビールから次の酒に移行する。
「ワインにするか」とi氏に言われたのだが、私は日本酒にしたいと告げる。
飲み物のメニューを見ながら、
「Rがあるな。君はここらあたりだとみんな知っているのかね」と聞いてくる。
「いえ、そんなことはありません」
「じゃあ、君の知らない酒を順番に飲んでいこう」
というわけで、とにかく燗につけてもらって飲む。
次に出てきたのは野菜のお造りである。トマト味噌をつけて食べる。
i氏が辛辣な一言を放つ。
「切っただけで、金を取るのか」
若い板前はたじたじである。
私は下手なサラダを食べさせられるよりは気に入った。トマト味噌にチリペッパーなど入っていたらどうだったろう。この味噌は余ってしまったので、小口に切った葱を載せてもらって、つまみにした。
次にお造りが出てきた。めじ鮪と障泥烏賊とあとはなんだったか。この刺身は正直言うとどうということはなかった。
日本酒は順番にいろいろ飲んできているのだが、純米吟醸をお燗にしてもらったときには、i氏もお店側もいいのかなという雰囲気であった。
「大丈夫。きちんとした酒造りをしているところの純米吟醸ならお燗にしてもいけます」
ということでお燗にしてもらったのだが、i氏も一応納得してくれたようななので一安心だ。
さて、焼き物が出てきた。鱧だったか、太刀魚だったか。鱧だった気もする。溜まり醤油がかけられており、黄身おろしが添えられていた。この黄身おろし、i氏はたいそうお気に召さなかった風で、端から手をつけようとしない。
「駄目ですよ。いろいろトライしてみなくては」と小言を言ってみる。
するといつの間にか黄身おろしがなくなっている。どうやら一気に口にしたらしい。嫌いなものを食べる子どものようである。
そうこうしているうちに、目の前に八寸が出てきた。
「振り出しに戻る か」とi氏。
出てきたものはといえば、蛸の柔らか煮
生くらげの胡麻和え
ブルーベリーの白和え、
鰺の棒鮨に○十の蜜煮
ピータンと蟹味噌和え
烏賊の塩辛黒づくり
甘海老の紹興酒漬け
とこんなところだ。
ピータンと蟹味噌和えが旨かった。これはi氏もお気に入りで、こちらとしても胸をなで下ろしたところだ。ところが鰺の棒寿司を口にした途端、その表情が変わる。
「甘い」
どれどれと思って口に運ぶと、これはもう甘酢状態であって、私にもいただけない。私が二十数年通う鮨屋は、鮨飯に砂糖を使わない。わずかな塩で米の甘みを引き出すのだ。そういう鮨を基本としているものだから、私もi氏と同様この鮨は旨いとは思わなかった。
このあと、ほとんど記憶にないのだが、揚げた魚に葛の餡がかかった碗が出たように思う。
そしていつの間にか隣の客となっていた若いカップルに出されたへしこが気になっていたi氏。それをこちらにもサーブしてくれたあたりはなかなか嬉しい。
そして
「最後に、つけ麺をご用意します」といわれたものだから、i氏の表情がまた曇る。
「う〜む、それは勘弁願いたいね」
「それでは、お時間を少しいただければ、ご飯を炊いてお出ししますが」
その対応はなかなかよかったのだが、二十分ほどは待つことになるだろうと思うと、私がそれを制した。
「ここは、S谷らしいということで、つけ麺をもらってみましょうよ」
ぬわにぃ、という顔で睨まれはしたものの、珍しくこちらの意見に従ってくれたのである。
ところがどっこい、このつけ麺がいただけなかった。私がそう思っているということは、隣でもっと怒っている男がいるということである。無言なのだ。
このなんともいえない雰囲気を、ええぃ、水に流してしまえとばかりにトイレに立つ。ちょっとのんびり目に席に戻ると、氏がデザートを平らげたところだった。
「遅い」
失礼しました。恐怖におののく私は、デザートが何であったのか、まったく記憶にない。
食後、この店の主宰者と話をした。全部で三十二席あるというカウンター。確か、高級な和食ではなく、かといって大衆割烹でもない、気軽に楽しめるきちんとした和食がコンセプトだというようなことをいっていたと思う。
彼の年齢を聞いて驚いた。三十一だというのだ。若い。メニューはどうやって決めていくのかというと、若い板前たちの提案を受けて、自分がまとめていくのだという。その若さでディレクター、あるいはプロデューサーなのだ、彼は。
この店を出て、氏の行きつけのBARに腰を落ち着ける。
「ここは、いつ来て飲んでも構わない。ボトルがなくなったら入れておいてくれ」
「ありがとうございます。ところで、先ほどの店はいかがでした」
「○○点だな」
「私はそれに十点プラスしておきましょう」
「そうか。私は彼が何をやりたいのかまったく分からなかったよ」
「なるほど」
私は氏の最後の言葉について、ちょっと考えてみた。確かに工場のようであった。和食の工場。彼は工場長なのだ。品質管理もしっかりしている。材料の配合も問題ない。がしかし、非常に没個性的である。三十二の席に対応するために、四か所に俎板があり、そこに料理人が立つ。そして、どの席に座っても同じものがサーブされるのだ。バックヤードで仕込まれたものが回転寿司の如く運ばれてきて、それを板前が取り上げて客に出す。これは単なる空想だけれども、そんなイメージがないわけではない。
「若い人を連れて行けば喜ぶだろう」とは氏が後で私宛に送ってきたメールの一文である。我々は年を取りすぎた。見えなくてもいいものまで見てしまっているのかもしれない。しかし、年を取ったおかげで、店が変化するものであるということも知っている。「しばらくしたら、また、顔を出してみることにする」とも氏は伝えてきた。
ごちそうさま。
2006年の今日の記事はこちら>>>「久しぶりのS琴窟は、どことなくふつうだった」
2005年の今日の記事はこちら>>>「じゅわあ〜、と頭の中にイメージが。」
2004年の今日の記事はこちら>>>「渋谷のK楽で」
□□□きょうの「食」ヘッドライン・ニュース□□□
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「もしもし」
「iだ。G大にいる」
「す、す、すみません。きょうは愚息の具合が悪く、早めに在宅勤務に切り換えてしまいました」
一瞬の間。
「っ、ハハハハハ。頑張り給へ。市井の民はやることが多くて大変だな」
「恐れ入ります」
「近々」
というと電話が切れた。
近々、を放っておいてはいけない。それが私がi氏と付き合いながら学んだことだ。
翌日。すかさずi氏の携帯宛にメールを打つ。
「S谷にご一緒したい店があります。いかがですか」
もちろんその日はうんでもすんでもない。それでいいのだ。
が、しかし。翌日返信がやってくる。
「携帯の電池が切れていた。その日は事務所いる。何という店だ」
ここは少しばかり意地悪をして教えない。
「私も初めて行く店です。偵察隊ということで。お楽しみに」
何の返信も来ないのだが、ムッとした雰囲気が携帯から伝わってくるのはなぜだろう。
当日。A学院の西門前で待ち合わせる。少しばかり早く着いてしまったので、昔よく行ったBAR、Vレイのあたりを散策してみる。ややや、Vレイではなくなっているぞ。ふらふらと西門の前に戻る。守衛がこちらを疑いの目で見ている。
しばらくすると、反対側の通りを歩いてくる髭面の男が目にはいる。i氏だ。手を挙げて、信号をこちら側に渡ってこなくていいと合図する。私が車の途切れるのを待って信号無視をし、氏のもとへ駆け寄る。
「痩せたか」
「いえ。きょうはだぶだぶのシャツを選びましたので、それでかと」
氏はすでにどちらへ向かうのだという顔をしている。私が痩せたかどうかなど、実際にはこれっぽっちも興味などないのだ。まじめに応えて損をした。
「このあたりにBARがありましたよね」
「おおVレイか」
「そうです。あのBARはどこへどこへいってしまったのですか」
「このあたりのビルに入ったはずだ」
そういわれてサッと見回すが、よく分からない。今度探してみることにしよう。
さて大きな交差点を渡って右に折れれば、もう目指す店はすぐそこだ。ちょうど開店したようだ。
「ここです」
「うむ」
S幹というその店の階段を下りていく。扉を引いていいのか、押していいのか、はたまたスライドさせるのか分からずにいると
「引け」とi氏。
少し風圧がかかっていたのか、指示通りにもう一度引いてみると、重たげに扉が開いた。
レジにいた男性が迎えに出てこようとしていたので、予約した旨伝えると、大きなカウンターの中央の席へ案内された。今日の最初の客である我々が大きなコの字型カウンターの中央にぽつねんと案内されるのも不思議な気がした。
「このカウンターの感想を聞きたかったのです」
巷では、東京一大きなカウンターだとか評判が立っている。それで、i氏がそれをどう表するか、見せてみたかったのである。
しかし、何も言わない。いつも店の造作などについては、第一印象でものを言うのではなく、専門的な吟味を加えてからしか思っていることをいわない。この沈黙が怖いのである。本当に何も言わないのだ。
しばらくしてi氏がポツリと言った言葉。
「輸入材だな」
「もう少し奥行きが欲しい感じですね」
「うむ。あと二百だ。それがないからいっそう○○っぽい」
先ほどメニューを渡してくれた若い板前の彼が
「お飲み物はいかがいたしますか」と聞いてくる。
「Yビスの生」とi氏。
「私も」と追随する。なにせ今日もたくさん歩いたのだ。
細かな泡立ちの生ビールが、オープンキッチンの更に奥にあるバックヤードから運ばれてくる。なかなか旨い。
さて、料理はどうするか。
「お任せのコースにしますか」と水を向けると
「うむ。そうだな」とi氏。
「納豆醤油になっています」と彼。
一口啜ると、なるほど、醤油に納豆をすり潰して入れているのである。これはなかなか好きだ。
このあたりでビールから次の酒に移行する。
「ワインにするか」とi氏に言われたのだが、私は日本酒にしたいと告げる。
飲み物のメニューを見ながら、
「Rがあるな。君はここらあたりだとみんな知っているのかね」と聞いてくる。
「いえ、そんなことはありません」
「じゃあ、君の知らない酒を順番に飲んでいこう」
というわけで、とにかく燗につけてもらって飲む。
i氏が辛辣な一言を放つ。
「切っただけで、金を取るのか」
若い板前はたじたじである。
私は下手なサラダを食べさせられるよりは気に入った。トマト味噌にチリペッパーなど入っていたらどうだったろう。この味噌は余ってしまったので、小口に切った葱を載せてもらって、つまみにした。
日本酒は順番にいろいろ飲んできているのだが、純米吟醸をお燗にしてもらったときには、i氏もお店側もいいのかなという雰囲気であった。
「大丈夫。きちんとした酒造りをしているところの純米吟醸ならお燗にしてもいけます」
ということでお燗にしてもらったのだが、i氏も一応納得してくれたようななので一安心だ。
「駄目ですよ。いろいろトライしてみなくては」と小言を言ってみる。
するといつの間にか黄身おろしがなくなっている。どうやら一気に口にしたらしい。嫌いなものを食べる子どものようである。
そうこうしているうちに、目の前に八寸が出てきた。
「振り出しに戻る か」とi氏。
出てきたものはといえば、蛸の柔らか煮
生くらげの胡麻和え
ブルーベリーの白和え、
鰺の棒鮨に○十の蜜煮
ピータンと蟹味噌和え
烏賊の塩辛黒づくり
甘海老の紹興酒漬け
とこんなところだ。
ピータンと蟹味噌和えが旨かった。これはi氏もお気に入りで、こちらとしても胸をなで下ろしたところだ。ところが鰺の棒寿司を口にした途端、その表情が変わる。
「甘い」
どれどれと思って口に運ぶと、これはもう甘酢状態であって、私にもいただけない。私が二十数年通う鮨屋は、鮨飯に砂糖を使わない。わずかな塩で米の甘みを引き出すのだ。そういう鮨を基本としているものだから、私もi氏と同様この鮨は旨いとは思わなかった。
このあと、ほとんど記憶にないのだが、揚げた魚に葛の餡がかかった碗が出たように思う。
そして
「最後に、つけ麺をご用意します」といわれたものだから、i氏の表情がまた曇る。
「う〜む、それは勘弁願いたいね」
「それでは、お時間を少しいただければ、ご飯を炊いてお出ししますが」
その対応はなかなかよかったのだが、二十分ほどは待つことになるだろうと思うと、私がそれを制した。
「ここは、S谷らしいということで、つけ麺をもらってみましょうよ」
ぬわにぃ、という顔で睨まれはしたものの、珍しくこちらの意見に従ってくれたのである。
ところがどっこい、このつけ麺がいただけなかった。私がそう思っているということは、隣でもっと怒っている男がいるということである。無言なのだ。
このなんともいえない雰囲気を、ええぃ、水に流してしまえとばかりにトイレに立つ。ちょっとのんびり目に席に戻ると、氏がデザートを平らげたところだった。
「遅い」
失礼しました。恐怖におののく私は、デザートが何であったのか、まったく記憶にない。
食後、この店の主宰者と話をした。全部で三十二席あるというカウンター。確か、高級な和食ではなく、かといって大衆割烹でもない、気軽に楽しめるきちんとした和食がコンセプトだというようなことをいっていたと思う。
彼の年齢を聞いて驚いた。三十一だというのだ。若い。メニューはどうやって決めていくのかというと、若い板前たちの提案を受けて、自分がまとめていくのだという。その若さでディレクター、あるいはプロデューサーなのだ、彼は。
この店を出て、氏の行きつけのBARに腰を落ち着ける。
「ここは、いつ来て飲んでも構わない。ボトルがなくなったら入れておいてくれ」
「ありがとうございます。ところで、先ほどの店はいかがでした」
「○○点だな」
「私はそれに十点プラスしておきましょう」
「そうか。私は彼が何をやりたいのかまったく分からなかったよ」
「なるほど」
私は氏の最後の言葉について、ちょっと考えてみた。確かに工場のようであった。和食の工場。彼は工場長なのだ。品質管理もしっかりしている。材料の配合も問題ない。がしかし、非常に没個性的である。三十二の席に対応するために、四か所に俎板があり、そこに料理人が立つ。そして、どの席に座っても同じものがサーブされるのだ。バックヤードで仕込まれたものが回転寿司の如く運ばれてきて、それを板前が取り上げて客に出す。これは単なる空想だけれども、そんなイメージがないわけではない。
「若い人を連れて行けば喜ぶだろう」とは氏が後で私宛に送ってきたメールの一文である。我々は年を取りすぎた。見えなくてもいいものまで見てしまっているのかもしれない。しかし、年を取ったおかげで、店が変化するものであるということも知っている。「しばらくしたら、また、顔を出してみることにする」とも氏は伝えてきた。
ごちそうさま。
2006年の今日の記事はこちら>>>「久しぶりのS琴窟は、どことなくふつうだった」
2005年の今日の記事はこちら>>>「じゅわあ〜、と頭の中にイメージが。」
2004年の今日の記事はこちら>>>「渋谷のK楽で」
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by mesinosuke
| 2007-08-03 19:16
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