2007年 12月 25日
予定を変更して入った蕎麦屋 S久
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程よく身体が温まってきた頃、Jが丘辺りに到着。
「確かこの路地に蕎麦屋があったな」
ややや、なくなっているではないか。
「なくなっちゃったよ」
そんな会話をしつつ、歩みを進め左折。ここからO沢へ向かってやや上り坂だ。と、思ったら、いつの間にこんな所に蕎麦屋が。新蕎麦の文字もある。試しに入ってみるかということでO沢行きを中断。暖簾を潜ってみる。
ちょうどその時に二人連れが出てきたのだが、どうやらそれで入れたらしい。一番通りに近い四人掛けのテーブルを二人で使わせてもらう。蕎麦屋似ぬ合わぬ大きくはっきりした声の女性が席に通してくれたが、なかなかてきぱきとしていて間違いのない仲居さんなのだった。
歩いてきたのでビールもよろしかったが、お燗でD酒(はっきりとは覚えていない)をもらう。家人が頼んでお昼の御膳にいくつか小鉢が着いているので、それを当てに一献傾けようという魂胆だ。
私はというと、余計なものが何もついていないせいろを頼んだ。やがて家人に御膳をもってきた年配の仲居さんが、
「お蕎麦はあとでお出ししますので、声をかけてください」と
酒飲みの気持ちを先回りした気配りをしてくれる。
なかなかのんびりとしたよい気分である。この店の風情は、いわゆる民芸調で、実は店内に足を踏み入れた時に一抹の不安があった。が、しかしそれはいい意味で当たることはなかった。外をそぞろ歩く人たちを眺めながら、愚息の話などをしつつのんびりと杯を傾ける。もう一本いきたいという思いをグッと我慢して、それぞれに頼んであった蕎麦を所望する。
せいろはこんもりと盛られて出てきた。その佇まいはパスタのようでもある。
「よろしかったら、こちらの梅塩でもお召し上がりください」と仲居さん。
そうか、これは梅塩だったのか。実は酒を飲んでいる間に、いったい何だろうと思って手に取り舐めてみたのだった。
私は原則、蕎麦には何もつけない。ので、最初はそのように食べたのだが、この梅塩は気になるところである。山葵のように梅塩を蕎麦に乗せて口に運んでみる。蕎麦の味がグンと締まるような気がする。悪くない。が、何口か食べていくと塩気がちょっと邪魔な気がしてくる。
そんなこんなで、田舎蕎麦も試してみたくなった。滅多に田舎は食べ何のだが、このときはどうしてそんな気分になったのか、自分でもよく分からない。結論から言うと、やはり田舎よりはせいろの方が好みにあった。ちょっと余計だった。
蕎麦湯は、テーブルにある一味を入れて味わって欲しいといわれたのでやってみる。これがとても美味しい。蕎麦湯自体もよいのだが、ある蘊蓄とともに進めてくれた(内容は忘れてしまった)一味が程よいアクセントになってよろしいのだ。
先ほどの声の大きな仲居さんに、
「ここはいつからやっているんですか」と聞いてみる。
すると、Jが丘の中で移転した店なのだそうだ。
ピンと来た。
「もしかすると、あの線路脇のお店ですか」
「そうです。とても手狭だったので、こちらに移ってきたんです」
「きょう、ちょうど、あそこの蕎麦屋がなくなっちゃったね、なんて話ながら歩いてきて、全然知らないで入ったんですよ」
などと、私たちとしては盛り上がる。こんなこともあるんだね。
ひっきりなしにやってくる客がこの店の良さを証明している。我々が暇をした時、正に入ってこようとした客が、暖簾が下げられ中休みになってしまったことを残念そうに去っていった。
ごちそうさま。
2006年の今日の記事はこちら>>>「混んでいた週末のU月で」
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by mesinosuke
| 2007-12-25 16:12
| ▷soba