2008年 02月 29日
K祥寺妄想紀行 寝かせたH陸秋蕎麦に驚く N清
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ある夕刻。天然物の魚だけを扱うにも関わらず極めて庶民的で気に入っている居酒屋にいこうとゆらゆらと考えていた。ここの板さんは全身から「魚が好きで仕方ない」という雰囲気を醸し出していて、私はそこが大層気に入っている。きょうはどんな魚が入っているかなあ、燗酒は何にしようかなあなどと考えていて、ふと思いついた。i氏を誘ってみるか。メールを恐る恐る出してみる。どんな反応が返ってくるか、分からないからだ。
すると一分後に電話がかかってきた。
「君にもいい加減閉口するよ。まあ、今に始まったことではないがね」
「はぁ、申し訳ありません。では、先ほどのメールはなかったことにしていただいて」
「馬鹿をいえ」
「?」
「今日は魚の気分ではないといっておるのだ。わかるだろ」
「(わかりませんっ)はい」
「K祥寺へ来給へ」
「以前、突然の退っ引きならないご用事でキャンセルになったあのお店にでも?」
「まったく嫌な男だ。あの時のことは謝ったではないか。詫びの酒席も設けたではないか。そもそもこの世の中には君よりも大事なことがごまんとあるのは、あまりにも明らかでまぶしすぎて見えないくらいだ。それを未だにねちねちねちねち。ねちねちというのはおそらく『根にもって』『ちくちくいう』ということだな。うむ。素晴らしい発見だ」
「では、ブログに書かせていただきます」
「まだあんな馬鹿なことに時間を浪費しているのか。そんな暇があるのだったらK祥寺へなぜ来ない」
「居酒屋へいこうと思ってましたんで」
「六時。駅で待っている」
といってi氏は電話を切った。
やれやれ。
K祥寺に着くとトレンチコートを着て氏は立っていた。
「こんにちは」
「こっちだ」
「今日はどんな趣向で?」
「いきなり君、つまみの話か」
「いえいえ、どのようなお楽しみが待っているのかと」
「なんだ、漢字で書けばくだらん勘違いもせんで済むものを」
この辺は口答えしない方がよろしいということを経験が教えてくれた。
横断歩道の信号で立ち止まる。
「あそこに止まっているタクシーをつかまえるぞ」
と大きな声で宣言、というか同じ狙いでいるかも知れない周りの人たちに宣戦布告。
しかしそこはキャラクター勝ちで、有無をいわさずタクシーはi氏のものとなる。
「今宵は室内楽を聴きながらイタリアンだ」
「えっ?! こんな格好でいいんですか」(私の当日の服装については敢えて触れない)
「大丈夫だ。貸衣装屋に寄ってから行く」
「そんな話、聞いてませんよ」
「嘘だ」
車中に笑いはない。
「で、貸衣装屋に寄りますか」
と訳の分かっていない運転手が聞く。
「いや、Jブリの方へそのままいってくれ」
「これまで食事はレストラン、演奏は地下のホールというスタイルだったんだが、食べながら演奏を楽しむということをやってみたいとオーナーが言っている。今日は、そのシミュレーションだ。まあ、一席空きができたのでちょいと釣り上げたというわけだ。気にせんでもよい」
「はあ」
なんだか私はクチボソのような気がしてきた。
さて会場について地下に降りていこうとすると、コートを預けて欲しいと告げられる。もう一度上に戻り、コートを預け降りていく。i氏は入り口右手のご婦人に挨拶をし、テーブルを確認して一番奥の丸テーブルに腰を下ろす。
「掛け給へ。Y木君が来ているはずだ」
「ベーシストY木さんですか」
「そうだ。ニョッキY木だ」
そうなのだ。S州のとある別荘に泊まったときに、Y木氏がニョッキをつくってくれたのだ。彼は料理名人なのであった。
とそこにご当人が現れ、挨拶を交わす。
先ずは料理の注文だ。パスタのコースがおすすめのようであったが、酒飲み軍団はいきなりパスタというわけにはいかない。
「コンフィでもどうだ」
「う〜ん、どうしましょう」
云々。結局、赤ワインをボトルで一本もらい、チーズの盛り合わせ、若鶏のサラダ、鴨のコンフィなんぞをもらう。
料理は、まあ、何といえばいいのか……。
「食べるということと、音楽を聴くということが両立するんでしょうかね」
などとつい本音を口走ってしまう。ベーシストY木氏が室内楽のそもそもの成り立ちといった話をしていたように思う。内容はうろ覚えなので恥ずかしくて書けないのだ。
さて、奏者が出てきた。三人のお嬢さんである。どうやら音大の学生らしかった。
「一部では、クラシックの曲をお届けしましたので、この第二部ではポピュラー音楽などをアレンジして演奏したいと思います」
どっっひゃあ〜とズッコケたのは我々三人だけではあるまい、と思ったら我々三人だけだった。
「一曲目は、トップ・オブ・ザ・ワールドをお届けします」
さらにズッコケたのはもちろん我々のみなのだった。他のお客さんはみんな身内っぽかった。基本的に応援してますってスタンスなのである。中には少々アルコールのせいでご機嫌な御仁もいた。
お嬢さん方のMCもよく言えばかわいらしい。ちょっと厳しくいえば稚拙。それを聞いていたi氏がなぜか不気味ににやりと笑って私の方を見る。
「君もついこの間まで、こんな話を聞かされていたんだな、ハハハッ」
そうなのだ、十名以上の新卒の若い子たちと話をする機会があったのだ。まさしくi氏の言うとおりなのであった。
最後の曲は、死者は墓に眠るのではなく風になって吹き渡っているのだと歌うあのヒット曲である。あの歌手は大学の先輩なのだという。
アンコールの拍手が起こる。彼女たちはアンコールの曲を用意していなかったと告げ、リクエストを求めてきた。
間髪を入れずi氏が大きな声を上げる。
「一部を聴きそびれた。クラシックを一曲、聞かせてくれ給へ」
もちろん彼にこう言われたら、他のお客さんは異論を挟みようがない。
i氏は実は、S本九氏よりも前にE・サリバンショーに出たお方なのだ。私などがおつき合いいただくには恐れ多いのである。そういう他の人にはない、経験から生み出される何かがi氏の身体からは発散されているのである。
「蕎麦を食いにいこう」と演奏が終わるやいなやi氏が立ち上がる。ベーシストY木氏も無類の蕎麦好きらしく、何となく三人でここから元気になる。
さて、案内されたのは、N清である。
タクシーを降りるとベーシストY木氏が
「ここは昼間しょっちゅう前を通ってましたけど、入れないなあ。気づかないですよ、旨い蕎麦屋だとは」
なるほどそうなのである。昔の風情そのままのC寿庵といった趣なのだ。
店内にはいると、右手に四名の先客。もうそろそろ終わりそうな雰囲気でくつろいでいる。
小上がりは我々には狭すぎて、厨房に一番近いテーブル席に陣取る。
「ビール。彼は燗酒だ。何があるかね」
「は〜い」女将さんが厨房のご主人に聴きに行く。
確か答はS亀だったきがする。S亀は嫌いではないのだが、よく知っているのでできれば他の酒を飲んでみたい。そんな気持ちで
「S亀かあ、ほかにはどうでしょうね」と聞いてみる。
が、しかし、結論から言うと、それに決めたつもりはなかったのにS亀が出てきた。
トホホ。
つまみは、i氏曰く
「あまりピンとこんのだ、ここのつまみは」
なるほどそのようであった。
が、ここからぐんぐんと凄いことになっていくのである。
ご主人が登場すると、一気にパフォーマンスアップ!という感じなのだ。
「小奴らに、生粉打ちの蕎麦を食べさせてやってくれ」とi氏。
普通の生粉打ちと、五日間寝かせたH陸秋蕎麦の生粉打ちを食べた。
もう本当に驚いてしまったのだ、寝かせると俄然旨いのである。
もうこの蕎麦だけで、S亀が勝手に出てきたことも、つまみがちょっとな、ということもみんな許してしまうのである。さっきまで音楽を聴いていたことなんか、忘れてしまうのである。
燗酒の話もご主人といろいろとする。
「T鶴なんか、置かないんですか」
「H島の酒は、当たり前過ぎちゃってつまらないでしょ」
などと話していると、K姫の凄いのがあるという。それをぬる燗で飲んでみるかときた。
「ぜひ」
これがまた非常によろしいのである。私の飲み方を見てご主人が
「もったない、そんな吞み方しちゃ」と窘める。
そういわれてご主人の方を振り返ると、大事そうにK姫を抱えているではないか。
おお!
このご主人、蕎麦のことも酒のことも語る、語る。それを面白がれるかどうかが、この店の評価の分かれ目なのかも知れない。ご主人の語りなしに、五日寝かせた生粉打ちを食べることはおそらく叶わないだろうし、K姫の隠し球も然りである。
帰りの電車の中で、あのホールのオーナーもN清のご主人もチャレンジャーなんだなと合点がいった。K祥寺恐るべし。
(i氏もっと恐るべし)
すると一分後に電話がかかってきた。
「君にもいい加減閉口するよ。まあ、今に始まったことではないがね」
「はぁ、申し訳ありません。では、先ほどのメールはなかったことにしていただいて」
「馬鹿をいえ」
「?」
「今日は魚の気分ではないといっておるのだ。わかるだろ」
「(わかりませんっ)はい」
「K祥寺へ来給へ」
「以前、突然の退っ引きならないご用事でキャンセルになったあのお店にでも?」
「まったく嫌な男だ。あの時のことは謝ったではないか。詫びの酒席も設けたではないか。そもそもこの世の中には君よりも大事なことがごまんとあるのは、あまりにも明らかでまぶしすぎて見えないくらいだ。それを未だにねちねちねちねち。ねちねちというのはおそらく『根にもって』『ちくちくいう』ということだな。うむ。素晴らしい発見だ」
「では、ブログに書かせていただきます」
「まだあんな馬鹿なことに時間を浪費しているのか。そんな暇があるのだったらK祥寺へなぜ来ない」
「居酒屋へいこうと思ってましたんで」
「六時。駅で待っている」
といってi氏は電話を切った。
やれやれ。
K祥寺に着くとトレンチコートを着て氏は立っていた。
「こんにちは」
「こっちだ」
「今日はどんな趣向で?」
「いきなり君、つまみの話か」
「いえいえ、どのようなお楽しみが待っているのかと」
「なんだ、漢字で書けばくだらん勘違いもせんで済むものを」
この辺は口答えしない方がよろしいということを経験が教えてくれた。
横断歩道の信号で立ち止まる。
「あそこに止まっているタクシーをつかまえるぞ」
と大きな声で宣言、というか同じ狙いでいるかも知れない周りの人たちに宣戦布告。
しかしそこはキャラクター勝ちで、有無をいわさずタクシーはi氏のものとなる。
「今宵は室内楽を聴きながらイタリアンだ」
「えっ?! こんな格好でいいんですか」(私の当日の服装については敢えて触れない)
「大丈夫だ。貸衣装屋に寄ってから行く」
「そんな話、聞いてませんよ」
「嘘だ」
車中に笑いはない。
「で、貸衣装屋に寄りますか」
と訳の分かっていない運転手が聞く。
「いや、Jブリの方へそのままいってくれ」
「これまで食事はレストラン、演奏は地下のホールというスタイルだったんだが、食べながら演奏を楽しむということをやってみたいとオーナーが言っている。今日は、そのシミュレーションだ。まあ、一席空きができたのでちょいと釣り上げたというわけだ。気にせんでもよい」
「はあ」
なんだか私はクチボソのような気がしてきた。
さて会場について地下に降りていこうとすると、コートを預けて欲しいと告げられる。もう一度上に戻り、コートを預け降りていく。i氏は入り口右手のご婦人に挨拶をし、テーブルを確認して一番奥の丸テーブルに腰を下ろす。
「掛け給へ。Y木君が来ているはずだ」
「ベーシストY木さんですか」
「そうだ。ニョッキY木だ」
そうなのだ。S州のとある別荘に泊まったときに、Y木氏がニョッキをつくってくれたのだ。彼は料理名人なのであった。
とそこにご当人が現れ、挨拶を交わす。
先ずは料理の注文だ。パスタのコースがおすすめのようであったが、酒飲み軍団はいきなりパスタというわけにはいかない。
「コンフィでもどうだ」
「う〜ん、どうしましょう」
云々。結局、赤ワインをボトルで一本もらい、チーズの盛り合わせ、若鶏のサラダ、鴨のコンフィなんぞをもらう。
料理は、まあ、何といえばいいのか……。
「食べるということと、音楽を聴くということが両立するんでしょうかね」
などとつい本音を口走ってしまう。ベーシストY木氏が室内楽のそもそもの成り立ちといった話をしていたように思う。内容はうろ覚えなので恥ずかしくて書けないのだ。
さて、奏者が出てきた。三人のお嬢さんである。どうやら音大の学生らしかった。
「一部では、クラシックの曲をお届けしましたので、この第二部ではポピュラー音楽などをアレンジして演奏したいと思います」
どっっひゃあ〜とズッコケたのは我々三人だけではあるまい、と思ったら我々三人だけだった。
「一曲目は、トップ・オブ・ザ・ワールドをお届けします」
さらにズッコケたのはもちろん我々のみなのだった。他のお客さんはみんな身内っぽかった。基本的に応援してますってスタンスなのである。中には少々アルコールのせいでご機嫌な御仁もいた。
お嬢さん方のMCもよく言えばかわいらしい。ちょっと厳しくいえば稚拙。それを聞いていたi氏がなぜか不気味ににやりと笑って私の方を見る。
「君もついこの間まで、こんな話を聞かされていたんだな、ハハハッ」
そうなのだ、十名以上の新卒の若い子たちと話をする機会があったのだ。まさしくi氏の言うとおりなのであった。
最後の曲は、死者は墓に眠るのではなく風になって吹き渡っているのだと歌うあのヒット曲である。あの歌手は大学の先輩なのだという。
アンコールの拍手が起こる。彼女たちはアンコールの曲を用意していなかったと告げ、リクエストを求めてきた。
間髪を入れずi氏が大きな声を上げる。
「一部を聴きそびれた。クラシックを一曲、聞かせてくれ給へ」
もちろん彼にこう言われたら、他のお客さんは異論を挟みようがない。
i氏は実は、S本九氏よりも前にE・サリバンショーに出たお方なのだ。私などがおつき合いいただくには恐れ多いのである。そういう他の人にはない、経験から生み出される何かがi氏の身体からは発散されているのである。
「蕎麦を食いにいこう」と演奏が終わるやいなやi氏が立ち上がる。ベーシストY木氏も無類の蕎麦好きらしく、何となく三人でここから元気になる。
さて、案内されたのは、N清である。
タクシーを降りるとベーシストY木氏が
「ここは昼間しょっちゅう前を通ってましたけど、入れないなあ。気づかないですよ、旨い蕎麦屋だとは」
なるほどそうなのである。昔の風情そのままのC寿庵といった趣なのだ。
店内にはいると、右手に四名の先客。もうそろそろ終わりそうな雰囲気でくつろいでいる。
小上がりは我々には狭すぎて、厨房に一番近いテーブル席に陣取る。
「ビール。彼は燗酒だ。何があるかね」
「は〜い」女将さんが厨房のご主人に聴きに行く。
確か答はS亀だったきがする。S亀は嫌いではないのだが、よく知っているのでできれば他の酒を飲んでみたい。そんな気持ちで
「S亀かあ、ほかにはどうでしょうね」と聞いてみる。
が、しかし、結論から言うと、それに決めたつもりはなかったのにS亀が出てきた。
トホホ。
つまみは、i氏曰く
「あまりピンとこんのだ、ここのつまみは」
なるほどそのようであった。
が、ここからぐんぐんと凄いことになっていくのである。
ご主人が登場すると、一気にパフォーマンスアップ!という感じなのだ。
「小奴らに、生粉打ちの蕎麦を食べさせてやってくれ」とi氏。
普通の生粉打ちと、五日間寝かせたH陸秋蕎麦の生粉打ちを食べた。
もう本当に驚いてしまったのだ、寝かせると俄然旨いのである。
もうこの蕎麦だけで、S亀が勝手に出てきたことも、つまみがちょっとな、ということもみんな許してしまうのである。さっきまで音楽を聴いていたことなんか、忘れてしまうのである。
燗酒の話もご主人といろいろとする。
「T鶴なんか、置かないんですか」
「H島の酒は、当たり前過ぎちゃってつまらないでしょ」
などと話していると、K姫の凄いのがあるという。それをぬる燗で飲んでみるかときた。
「ぜひ」
これがまた非常によろしいのである。私の飲み方を見てご主人が
「もったない、そんな吞み方しちゃ」と窘める。
そういわれてご主人の方を振り返ると、大事そうにK姫を抱えているではないか。
おお!
このご主人、蕎麦のことも酒のことも語る、語る。それを面白がれるかどうかが、この店の評価の分かれ目なのかも知れない。ご主人の語りなしに、五日寝かせた生粉打ちを食べることはおそらく叶わないだろうし、K姫の隠し球も然りである。
帰りの電車の中で、あのホールのオーナーもN清のご主人もチャレンジャーなんだなと合点がいった。K祥寺恐るべし。
(i氏もっと恐るべし)
by mesinosuke
| 2008-02-29 19:09
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