2008年 03月 11日
A橋妄想紀行 滋味と不思議な魅力に溢れたM登里
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Macの傍らに放り投げておいた携帯電話が突然鳴動を始める。ま、電話というものはいつ何時も突然なのだが。今日私に電話がかかってくる用事などない。となると……、消去法で考えていくと最も可能性が高いのは……。早く電話に出ればいいのである。ディスプレイにはi氏の名前が浮かび上がっている。一刻も早く電話に出なければ、i氏の血圧が天文学的な数値に上がってしまうだろう。そんな空想を楽しんで、ちょっと焦らす。ふふ。
「もしもし、」
「殿がご機嫌斜めだ。今月は下々と付き合っている暇はないそうだ」
「はぁ?」
「どうやら誠に残念ながら、この世の中で暇なのは君ぐらいなものらしい。断腸の思いで電話を掛けた。いやいや、電話代なんぞ、心配しなくてよい」
「(心配していませんぜ、まったく)恐縮です。で、ご用件は?」
「なんだその言い種は。昨日今日の付き合いでもあるまいし、察しが悪いにも程がある」
「蕎麦でも食べようというお誘いでしょうか」
「腹が立つ。分かっていてわざと知らんぷりをしているな。あれは私がセンターだった頃のことだ」
「はぁ、はぁ、はぁ?」
「はぁは一度でよい。W大伝統のサインプレー、カンペイだ。我々もよく真似をしたものだ」
「菅平で編み出したというヤツですね」
「断片的知識では君の右に出るものはおらんな、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
「iさん、その笑い方は入力しにくいです」
「余計なお世話だ」
「ところで、カンペイがどうかしたんですか」
「15の攻撃参加だ」
「はい」
「分かるのか?」
「はい。iさんは12ですか」
「そうだ。だから、私の背後から15が忍び寄ってくるわけだ。だが私はあくまでもそんなこと全然知りませんモードでなければいかん。そこへ15が割って入って……」
「カンペイは知っています」
「今、私の頭の中できれいなサインプレーの映像ができあがるところだったんだぞ。取り返しのつかないことをしてくれたな」
「だから、カンペイがどうかしたんですか」
「何だ、君。何か急いでいるのか」
「少しは読者のことも考えませんと。
それでなくてもご訪問いただいている方は少ないんですから、飽きられたら困ります。
本筋からそれることなく話を進めとうございます」
「もしかして私のことを君のくだらないブログとやらに書いているんじゃないだろうな」
「滅相もございません。私が許可も得ずにそのようなことをするとでもお考えなんですか!」
「まあ、あり得ない話ではない」
……。
「カンペイです」
「わかった、わかった。私は15が来るということが隠せないのじゃよ。人が良いんだな、これが」
「見え見えってやつですね。どうしたんです、言葉遣いまで変ですよ。あ、もしかして少し恥ずかしいんじゃないですか」
「虚心坦懐」
「?」
「本日の四文字熟語だ」
「つまり、カンペイが上手くいった試しがないと」
「そういうことがいいたいのではないっ!。君のようにしらばっくれることができないといっているんだ」
「たったそれだけのことを伝えるのに、カンペイから始めるんですか。ラグビーを知らない人にはきっとちんぷんかんぷんですよ」
「まあ、そういう可能性がないわけでもない」
「十分ありますっ!」
「どこだ?」
「そうですねぇ、」
「お、たまには物分かりがいいではないか」
「ええ、慣れてきました」
「A橋というところにあるMにいってみたいんですけど」
「ふむふむ。まあ、よいだろう。何とかスケジュールを融通しよう」
「iさんから誘われた気がしますが」
「待ち合わせは?」
「六時にJRの中央改札口で」
「六時十五分にしよう。では」
i氏は六時に改札にいた。せっかち(内緒)なので早め早めに行動してしまうのだ。六時の待ち合わせなら、五時台にその場にいただろう。
「内回りか、外回りか」
「内で」
「うむ、しかしA橋などというからてっきりS草寺がある辺りかと思ったぞ。情報の開示はもっと適切に」
と言ったその舌の根も乾かぬうちにi氏は歌い始めた。どうやら一応ご機嫌麗しいのだ。
「F士の高嶺に降る雪も~、K都P斗町に降る雪も~、雪に変わりが……」
「珍しいですね、鼻歌とは。銭湯でもあるまいし」
「先斗町こじ開け事件だ。ふふふ。聞きたいか」
「手短に」
ジロリと睨まれた。
「先斗町で酒を飲んだ。以上」
まったく子どもなんだから、やれやれ。
ここは黙り作戦に出てみた。……、……。
「そんなに聞きたいなら、話して聞かせよう」
ほらね。
「R大学の教授らと先斗町を覗きにいった。まあ一見では遊ぶところはない。ところがだ。iというお茶屋があるではないか。これは何かの縁に違いない」
(こういう思い込みのできる人は、しあわせだ。まわりはともかく、ご本人は)
「ほうほう、それで?」
「どうだ、面白い話であろう」
「誠に」
「教授がだな、交渉にいった。ここに屋号と同じ名の男がいると。これはもう通り過ぎるわけにはいかん。床にあがらせてもらえないだろうかとね」
「iさんが交渉したわけではないんですね」
「もちろんだ。私には奥床しさというものが備わっておる」
「で、どうなりました?」
「かなり迷惑そうだった」
「そりゃ、そうだ(大笑)」
「笑いすぎだ」
「すみません」(楽しくなってきたぞ)
「結局、粘って成功だ。しかし金がなかった。三千円で、食べ物はいいから吞ましてくれと頼んだ結果、出てきたのは三品だったぞ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
(また、あの笑い方だ)
「楽しそうですねぇ」
「これで次回からは予約すればよいのだ。先斗町に行きつけがある。どうだ、格好いいだろう。ま、君のような小僧を連れて行くわけにはいかんがね」
「K都の蕎麦屋はどうです」
「馬鹿を言え。K都までいって蕎麦なんぞ喰うものか。こんなに楽しいことがあるのに。そもそも私にとって蕎麦は五番目の食い物だ。そこを弁えておけ」
「左様で」
そんなやりとりをしながら電車はA葉原に着いた。雨が降っていた。もともと早歩きのi氏の歩みがますます早くなる。こちらは付いていくのがやっとだが、なに、今日の店の場所は私しか知らないのだ。
私にしては珍しく迷わず店に着いた。
「喫茶店のようだな」
「まさしく。いきましょう」
ドアを開けて中へ歩みを進める。
「今晩は。予約をしていましたmesinosukeと申しますが」
「あ、mesinosukeさん、いらっしゃいませ。こちらのテーブルへどうぞ」
なんと、私が勝手に思いこんでいただけなのだが、てっきりこの店はカウンターだけの店だと思っていた。カウンターはむしろ小さく、そこにカップルと年配の男性が一人。まだ席はあるのだが、その間に割り込むのはちょっと気が引けてしまう、そんな感じだ。
私たちが通されたのは、ガラス張りの蕎麦打ち場の前のテーブル。一テーブル挟んで、年配のサラリーマンに連れられてきた若い部下(取引先?)といった風情の二人。どうやら年配の方が常連のようだ。
さてと、席には着いたものの勝手がよく分からない。
「すみません、どうお願いしたらいいですか」と聞いてみる。
するとご主人がテーブルにメニューがないことに気づいて、メニューをもってきてくれる。ここら辺の感じは、まあ商売気がないというか、自分たちができることをやる自然体というか。ご夫婦ふたりの趣味を生かした店だということを知らないで入ると、やや辛口のコメントをしたくなる部分かも知れない。
「お飲み物は、どうしましょう」
「瓶ビール」とi氏。
「生しか置いてないんですが」
まずい展開だ。i氏は心の中で「まったく何という店に連れてきたのだっ!」と立腹しているに違いない。私はいきなり日本酒でもいいのだが、i氏はどんなときでもビールから始めるのだ。たとえ「ビール→日本酒や焼酎」と飲んだあとで河岸を変えたとしても、さっきまで飲んでいた記憶は初期化されてしまって、またもやビールから始めてしまう困った質なのだ。
「じゃあ、生で」ふぅ。
「中ジョッキで?」
そうだな、生だったら中ジョッキかなあと思っていたのだが、
「小でよい」とにべもない。
私はちょっと喉が渇いていたのかも知れない。小ジョッキをぐびぐびと飲む。そこへ蕎麦と大蒜を素揚げにしたものが出された。蕎麦というよりは蕎麦生地という感じだ。きしめんの倍ほどの幅がある。まあ、これはビールのつまみによい。
続いて、田作り(毎日つくっているそうだ)、烏賊味噌和え、ひたし豆、牛蒡の胡麻和えなど自家製の前菜が出される。しかも、サービスですとな。いやあ、こりゃあいいや。日本酒モードである。
「お酒をお燗で飲みたいんですが、メニューに載っているもの以外だとどんなものがあります?」と聞いてみます。
「そうですねえ、特別純米のものになりますけど」
「何という銘柄ですか」
「メニューに載っているものと同じ、H人娘です」
内心ちょっと惹かれない。が、まあ吞んでみようかなと。いや、ちょっと待てよ。Hザキの冷蔵庫に冷えている冷たい酒を先に何かもらうか。そんなつもりで、i氏に「冷たいのを先にもらいますか」と投げかける。
「うむ。最初は常温でいこう」
問いと答がかみ合っていなかったが、まあ、いいか。
「じゃあ、まずは常温でもらいます」
「一本飲まれますか?」とご主人。四合瓶なので問題はない。
「ええ」と答えると、そのまま瓶を置いて、グラスをとりにいった。
「何だか紹興酒を頼んだみたいですね(笑)」
「うむ」
この酒、I城の酒だそうだ。何でも畑のそばにある蔵で、そこから直接買ってくるらしかった。鮮度は抜群ですとは店主の弁。銘柄名から想起されるものとことなり、辛口のきりりとした酒だった。私としてはもう少し旨口でもいいんだけどなあ。
つまみに頼んだのは、自家製野菜のセット、小鰭のフライ、鶏の唐揚げなど。自家製野菜のセットとはいかなるものか、よく分からなかったのでご主人に聞いたのだが、小鉢にちょっとずついろいろなものが出てくるのだという。ならばと頼んでみる。小鰭の最もポピュラーな食べ方は鮨だろう。焼くととある匂いが立ち上るらしく、そういう食べ方をすることはない。というわけで今まで火を通したものを食べたことはないのでフライにはちょっと興味がわいた。i氏は喉黒を所望したが生憎品切れ。ならばここら辺りでよしとしましょうということになる。
頼んだもの以外にも、白菜の漬け物をいただいたし、里芋のフライ(ほっこりして旨い)、新玉葱のスライスをカレー風味に仕上げた一品も頂戴した。
総じて旨かった。野菜は冬で種類も収穫も少ないのだとあとで聞かされたが、ほうれん草など実に旨かった。私としては小鉢にもう少したんまりと盛って欲しかったくらいだ。
H人娘はやはり燗をつけた方が俄然よくなった。まあ、おそらく電子レンジ燗なのだけれど。自分たちのテーブルにある四合瓶から徳利に酒を移し、燗を頼む。他では味わえないやりとりである(苦笑)。
さて、蕎麦である。この蕎麦も自らの畑で育て、打ったものだそうだ。これは大変な労力である。蕎麦には香りの力はなかった。趣味から発展した手打ちらしく、その切り口に若干の乱れがあるものの、細めの蕎麦ながら腰はしっかりしておりまずまずである。
最後にデザートまで頂戴した。私はこの店がとても気に入った。通いたい。あの小うるさいi氏までもが「なかなか面白かった」というのだから、何かこの店にはある。
さて、店を出ると雨は上がっている。しかしストレンジャー二人には行くべきところが分からない。暗黙の了解で駅の方へ歩き出す。すると、i氏がまたもや鼻歌を歌っているではないか。「サムデイ〜」。むむむ、S野元春か。
「今宵、どういたしましょう」
「君の、べちゃべちゃな日本酒世界に付き合ったのだから、次はドライなスピリッツに決まっておるだろう」
「この辺りで、何かご存知ですか」
「戻ろう! わらが地へ! いざ、ゆかん! eins ・ zwei ・drei !」
「今度は人生劇場ですか」
「馬鹿者っ。あんな粗野な大学は出ておらんぞ、わしは」
「カンペイを生み出したのも同じ大学かと」
……、……。 もしかすると今の一言は、年長者の逃げ道をなくしてしまったのかも知れなかった。
「で、どちらへ」
「S谷だ。決まっておるだろ。私が十八から飲んでいるBARだ」
そういうと速歩i氏は、早くその店に行きたいのか、私をどんどん引き離して歩いていってしまう。
時折、風に運ばれてi氏の「サムデイ〜」が聞こえてくる。
ごちそうさま。
妄想紀行に関する以前の記事はこちら>>>「K祥寺妄想紀行 寝かせたH陸秋蕎麦に驚く N清」
2007、2006年の今日の記事はありません。
2005年の今日の記事はこちら>>>「特製わんたん麺を、もう一度」
2004年の今日の記事はありません。
□□□きょうの「食」ヘッドライン・ニュース□□□
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「もしもし、」
「殿がご機嫌斜めだ。今月は下々と付き合っている暇はないそうだ」
「はぁ?」
「どうやら誠に残念ながら、この世の中で暇なのは君ぐらいなものらしい。断腸の思いで電話を掛けた。いやいや、電話代なんぞ、心配しなくてよい」
「(心配していませんぜ、まったく)恐縮です。で、ご用件は?」
「なんだその言い種は。昨日今日の付き合いでもあるまいし、察しが悪いにも程がある」
「蕎麦でも食べようというお誘いでしょうか」
「腹が立つ。分かっていてわざと知らんぷりをしているな。あれは私がセンターだった頃のことだ」
「はぁ、はぁ、はぁ?」
「はぁは一度でよい。W大伝統のサインプレー、カンペイだ。我々もよく真似をしたものだ」
「菅平で編み出したというヤツですね」
「断片的知識では君の右に出るものはおらんな、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
「iさん、その笑い方は入力しにくいです」
「余計なお世話だ」
「ところで、カンペイがどうかしたんですか」
「15の攻撃参加だ」
「はい」
「分かるのか?」
「はい。iさんは12ですか」
「そうだ。だから、私の背後から15が忍び寄ってくるわけだ。だが私はあくまでもそんなこと全然知りませんモードでなければいかん。そこへ15が割って入って……」
「カンペイは知っています」
「今、私の頭の中できれいなサインプレーの映像ができあがるところだったんだぞ。取り返しのつかないことをしてくれたな」
「だから、カンペイがどうかしたんですか」
「何だ、君。何か急いでいるのか」
「少しは読者のことも考えませんと。
それでなくてもご訪問いただいている方は少ないんですから、飽きられたら困ります。
本筋からそれることなく話を進めとうございます」
「もしかして私のことを君のくだらないブログとやらに書いているんじゃないだろうな」
「滅相もございません。私が許可も得ずにそのようなことをするとでもお考えなんですか!」
「まあ、あり得ない話ではない」
……。
「カンペイです」
「わかった、わかった。私は15が来るということが隠せないのじゃよ。人が良いんだな、これが」
「見え見えってやつですね。どうしたんです、言葉遣いまで変ですよ。あ、もしかして少し恥ずかしいんじゃないですか」
「虚心坦懐」
「?」
「本日の四文字熟語だ」
「つまり、カンペイが上手くいった試しがないと」
「そういうことがいいたいのではないっ!。君のようにしらばっくれることができないといっているんだ」
「たったそれだけのことを伝えるのに、カンペイから始めるんですか。ラグビーを知らない人にはきっとちんぷんかんぷんですよ」
「まあ、そういう可能性がないわけでもない」
「十分ありますっ!」
「どこだ?」
「そうですねぇ、」
「お、たまには物分かりがいいではないか」
「ええ、慣れてきました」
「A橋というところにあるMにいってみたいんですけど」
「ふむふむ。まあ、よいだろう。何とかスケジュールを融通しよう」
「iさんから誘われた気がしますが」
「待ち合わせは?」
「六時にJRの中央改札口で」
「六時十五分にしよう。では」
i氏は六時に改札にいた。せっかち(内緒)なので早め早めに行動してしまうのだ。六時の待ち合わせなら、五時台にその場にいただろう。
「内回りか、外回りか」
「内で」
「うむ、しかしA橋などというからてっきりS草寺がある辺りかと思ったぞ。情報の開示はもっと適切に」
と言ったその舌の根も乾かぬうちにi氏は歌い始めた。どうやら一応ご機嫌麗しいのだ。
「F士の高嶺に降る雪も~、K都P斗町に降る雪も~、雪に変わりが……」
「珍しいですね、鼻歌とは。銭湯でもあるまいし」
「先斗町こじ開け事件だ。ふふふ。聞きたいか」
「手短に」
ジロリと睨まれた。
「先斗町で酒を飲んだ。以上」
まったく子どもなんだから、やれやれ。
ここは黙り作戦に出てみた。……、……。
「そんなに聞きたいなら、話して聞かせよう」
ほらね。
「R大学の教授らと先斗町を覗きにいった。まあ一見では遊ぶところはない。ところがだ。iというお茶屋があるではないか。これは何かの縁に違いない」
(こういう思い込みのできる人は、しあわせだ。まわりはともかく、ご本人は)
「ほうほう、それで?」
「どうだ、面白い話であろう」
「誠に」
「教授がだな、交渉にいった。ここに屋号と同じ名の男がいると。これはもう通り過ぎるわけにはいかん。床にあがらせてもらえないだろうかとね」
「iさんが交渉したわけではないんですね」
「もちろんだ。私には奥床しさというものが備わっておる」
「で、どうなりました?」
「かなり迷惑そうだった」
「そりゃ、そうだ(大笑)」
「笑いすぎだ」
「すみません」(楽しくなってきたぞ)
「結局、粘って成功だ。しかし金がなかった。三千円で、食べ物はいいから吞ましてくれと頼んだ結果、出てきたのは三品だったぞ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
(また、あの笑い方だ)
「楽しそうですねぇ」
「これで次回からは予約すればよいのだ。先斗町に行きつけがある。どうだ、格好いいだろう。ま、君のような小僧を連れて行くわけにはいかんがね」
「K都の蕎麦屋はどうです」
「馬鹿を言え。K都までいって蕎麦なんぞ喰うものか。こんなに楽しいことがあるのに。そもそも私にとって蕎麦は五番目の食い物だ。そこを弁えておけ」
「左様で」
そんなやりとりをしながら電車はA葉原に着いた。雨が降っていた。もともと早歩きのi氏の歩みがますます早くなる。こちらは付いていくのがやっとだが、なに、今日の店の場所は私しか知らないのだ。
私にしては珍しく迷わず店に着いた。
「喫茶店のようだな」
「まさしく。いきましょう」
ドアを開けて中へ歩みを進める。
「今晩は。予約をしていましたmesinosukeと申しますが」
「あ、mesinosukeさん、いらっしゃいませ。こちらのテーブルへどうぞ」
なんと、私が勝手に思いこんでいただけなのだが、てっきりこの店はカウンターだけの店だと思っていた。カウンターはむしろ小さく、そこにカップルと年配の男性が一人。まだ席はあるのだが、その間に割り込むのはちょっと気が引けてしまう、そんな感じだ。
私たちが通されたのは、ガラス張りの蕎麦打ち場の前のテーブル。一テーブル挟んで、年配のサラリーマンに連れられてきた若い部下(取引先?)といった風情の二人。どうやら年配の方が常連のようだ。
さてと、席には着いたものの勝手がよく分からない。
「すみません、どうお願いしたらいいですか」と聞いてみる。
するとご主人がテーブルにメニューがないことに気づいて、メニューをもってきてくれる。ここら辺の感じは、まあ商売気がないというか、自分たちができることをやる自然体というか。ご夫婦ふたりの趣味を生かした店だということを知らないで入ると、やや辛口のコメントをしたくなる部分かも知れない。
「お飲み物は、どうしましょう」
「瓶ビール」とi氏。
「生しか置いてないんですが」
まずい展開だ。i氏は心の中で「まったく何という店に連れてきたのだっ!」と立腹しているに違いない。私はいきなり日本酒でもいいのだが、i氏はどんなときでもビールから始めるのだ。たとえ「ビール→日本酒や焼酎」と飲んだあとで河岸を変えたとしても、さっきまで飲んでいた記憶は初期化されてしまって、またもやビールから始めてしまう困った質なのだ。
「じゃあ、生で」ふぅ。
「中ジョッキで?」
そうだな、生だったら中ジョッキかなあと思っていたのだが、
「小でよい」とにべもない。
私はちょっと喉が渇いていたのかも知れない。小ジョッキをぐびぐびと飲む。そこへ蕎麦と大蒜を素揚げにしたものが出された。蕎麦というよりは蕎麦生地という感じだ。きしめんの倍ほどの幅がある。まあ、これはビールのつまみによい。
続いて、田作り(毎日つくっているそうだ)、烏賊味噌和え、ひたし豆、牛蒡の胡麻和えなど自家製の前菜が出される。しかも、サービスですとな。いやあ、こりゃあいいや。日本酒モードである。
「お酒をお燗で飲みたいんですが、メニューに載っているもの以外だとどんなものがあります?」と聞いてみます。
「そうですねえ、特別純米のものになりますけど」
「何という銘柄ですか」
「メニューに載っているものと同じ、H人娘です」
内心ちょっと惹かれない。が、まあ吞んでみようかなと。いや、ちょっと待てよ。Hザキの冷蔵庫に冷えている冷たい酒を先に何かもらうか。そんなつもりで、i氏に「冷たいのを先にもらいますか」と投げかける。
「うむ。最初は常温でいこう」
問いと答がかみ合っていなかったが、まあ、いいか。
「じゃあ、まずは常温でもらいます」
「一本飲まれますか?」とご主人。四合瓶なので問題はない。
「ええ」と答えると、そのまま瓶を置いて、グラスをとりにいった。
「何だか紹興酒を頼んだみたいですね(笑)」
「うむ」
この酒、I城の酒だそうだ。何でも畑のそばにある蔵で、そこから直接買ってくるらしかった。鮮度は抜群ですとは店主の弁。銘柄名から想起されるものとことなり、辛口のきりりとした酒だった。私としてはもう少し旨口でもいいんだけどなあ。
つまみに頼んだのは、自家製野菜のセット、小鰭のフライ、鶏の唐揚げなど。自家製野菜のセットとはいかなるものか、よく分からなかったのでご主人に聞いたのだが、小鉢にちょっとずついろいろなものが出てくるのだという。ならばと頼んでみる。小鰭の最もポピュラーな食べ方は鮨だろう。焼くととある匂いが立ち上るらしく、そういう食べ方をすることはない。というわけで今まで火を通したものを食べたことはないのでフライにはちょっと興味がわいた。i氏は喉黒を所望したが生憎品切れ。ならばここら辺りでよしとしましょうということになる。
頼んだもの以外にも、白菜の漬け物をいただいたし、里芋のフライ(ほっこりして旨い)、新玉葱のスライスをカレー風味に仕上げた一品も頂戴した。
総じて旨かった。野菜は冬で種類も収穫も少ないのだとあとで聞かされたが、ほうれん草など実に旨かった。私としては小鉢にもう少したんまりと盛って欲しかったくらいだ。
H人娘はやはり燗をつけた方が俄然よくなった。まあ、おそらく電子レンジ燗なのだけれど。自分たちのテーブルにある四合瓶から徳利に酒を移し、燗を頼む。他では味わえないやりとりである(苦笑)。
さて、蕎麦である。この蕎麦も自らの畑で育て、打ったものだそうだ。これは大変な労力である。蕎麦には香りの力はなかった。趣味から発展した手打ちらしく、その切り口に若干の乱れがあるものの、細めの蕎麦ながら腰はしっかりしておりまずまずである。
最後にデザートまで頂戴した。私はこの店がとても気に入った。通いたい。あの小うるさいi氏までもが「なかなか面白かった」というのだから、何かこの店にはある。
さて、店を出ると雨は上がっている。しかしストレンジャー二人には行くべきところが分からない。暗黙の了解で駅の方へ歩き出す。すると、i氏がまたもや鼻歌を歌っているではないか。「サムデイ〜」。むむむ、S野元春か。
「今宵、どういたしましょう」
「君の、べちゃべちゃな日本酒世界に付き合ったのだから、次はドライなスピリッツに決まっておるだろう」
「この辺りで、何かご存知ですか」
「戻ろう! わらが地へ! いざ、ゆかん! eins ・ zwei ・drei !」
「今度は人生劇場ですか」
「馬鹿者っ。あんな粗野な大学は出ておらんぞ、わしは」
「カンペイを生み出したのも同じ大学かと」
……、……。 もしかすると今の一言は、年長者の逃げ道をなくしてしまったのかも知れなかった。
「で、どちらへ」
「S谷だ。決まっておるだろ。私が十八から飲んでいるBARだ」
そういうと速歩i氏は、早くその店に行きたいのか、私をどんどん引き離して歩いていってしまう。
時折、風に運ばれてi氏の「サムデイ〜」が聞こえてくる。
ごちそうさま。
妄想紀行に関する以前の記事はこちら>>>「K祥寺妄想紀行 寝かせたH陸秋蕎麦に驚く N清」
2007、2006年の今日の記事はありません。
2005年の今日の記事はこちら>>>「特製わんたん麺を、もう一度」
2004年の今日の記事はありません。
□□□きょうの「食」ヘッドライン・ニュース□□□
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by mesinosuke
| 2008-03-11 19:05
| ▷washoku