2008年 03月 12日
何年振りかで師匠の店へ。特許をもつM蔵野
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馴染みのT八で常連の先生と隣同士になったとき
「M蔵野はどうですか」と訊かれたことがある。
「う〜ん、のんびりした店ですねぇ」というのがその時の私の答である。
それ以上は何も言わなかった。
さて、Iおかを通してM蔵野特許製法の蕎麦に触れてきたわけだが、特段のきっかけもなく、師匠の店でもう一度食べてみるかという気になった。昼時を回った十三時過ぎ。店の前には一台のクルマが横付けされている。打ち場にはご主人。その左手の引き戸を引くと、店内には三組の客。年配の方ばかりだ。一人客が私たちが入ったのをきっかけに席を立つ。しかし、小上がりに上がるほどのんびりするつもりでもないので、どの席に着こうか一瞬迷う。煙草を吸っている人もいるしね。結局見つけた席は、打ち場の後ろの席。この古めかしい店の中で最もくらい一角だ。
注文に迷いはなかった。以前来たときに多くの人が頼んでいたあの黄金の組み合わせだ。
「せいろに天丼」
昼としては贅沢だなあ。
我々の注文が通ると、仲居さんが打ち場に蕎麦を取りに行く。打ち立てというわけだ。まあ、最近寝かした蕎麦も旨いことを知ってしまったので、三たて至上主義ではないのだけれど。
今回は酒を頼まず、お茶でじっと待つ。出てきたのは私のせいろから。お、なぜか少しずつ変化してきたIおかの蕎麦の風情に似ている。いや、それをいうなら逆だな。Iおかが似てきたといわなければならない。汁をつけずに口中へ。腰というより強い弾力とコクのある旨みが広がる。香りを追求した蕎麦ではないので、そこを求める御仁には物足りないかも知れない。汁を少しつけてみる。悪くはないが、やはり汁を付けずに食べきってしまう。
蕎麦湯で汁を楽しんでいると、いよいよ天丼の登場だ。やや、丼というくらいだから丼で出てくると思ったし、私の記憶の中でも丼だったように覚えているのだが、お重であった。お吸い物と香の物が付く。蓋を開けると、おおぉ! 実に立派な海老が二本。それだけである。清い。私は子どもの頃、近所の蕎麦屋の天丼が好物であった。そこも海老が二本。それだけ。それ以外に天丼に何を求めるというのか。海老が二本だけ、という時点で好感触なのである。
もちろん子どもの頃に食べていた天丼とは海老の質が違う。化粧衣などない。海老の姿そのままに巨大なのである。しかも天然の車海老である。ご飯はお重の底わずか一センチ程度、いや正確に計れば一センチを切っているかも知れない、しかないので、この値段のほとんどすべてを海老に払っていると言っても過言ではない。まあ、技術料というものがあるのだろうけど。
これはもう文句のつけようがなかった。ご飯が少ないと嘆く方も多かろうが、なぜかそれは不満に思わなかった。そういえば、Iおかにはご飯ものがない。それもまた清い。
ちょっと無沙汰をしてしまっているので、師匠の味を覚えているうちにIおかにも顔を出そう。
店を出てから気づいたのだが、頭上に大きく掲げられていたはずの屋号が見当たらなくなっていた。
ごちそうさま。
2007年の今日の記事はこちら>>>「神奈川のお酒Rは、なかなか旨かった」
2006、2005、2004年の今日の記事はありません。
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by mesinosuke
| 2008-03-12 19:14
| ▷soba