2006年 04月 11日
蕎麦屋の概念を超えた、去りゆく名店を惜しんで
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この前とはうってかわって、多くの席に年配の客が陣取っています。どうやらグループ客が大半のようです。一人の男性客が立っています。一瞬女将さんがどこにいるのか分かりません。ふと奥のテーブルから離れる人影が目に入りました。女将さんです。私の前に立っている男性越しに、指を一本立てて一人であることを告げます。そして真ん中の大きなテーブルのコーナーに陣取ってしまいました。すると私より前に立っていた男性も私から一つ離れた席に腰掛けようとするではないですか。私はてっきりお勘定を待っている人だと思って先に席に着いたのですが、悪いことをしてしまいました。
「こんにちは」と挨拶。女将さんは私の目を見て小さく会釈。いったん奥に引っ込んだあと、女将さんが今度は片口と猪口、そしてきのこをもってきてくれます。そのときに、二度目の来訪であることを告げ、閉店してしまう噂を聞いてやってきたことを話しました。
「○○○○でお仕事なさってたかたですよね」
おお、覚えていてくれたのか。
「ごめんなさいね、急に店を閉めることになっちゃって」テーブルの後かたづけをしながら、常連でもない私とつれづれなる会話をしてくれる。このあたりにもこのお店のよさがあるんですね、きっと。
「周りの環境が変わってきちゃって。ここが好きだったんですけど、うちみたいな商売には向かなくなっちゃったのかなと思い始めてしまって。歩いている人も変わりましたし……」
ほう。ここは決して何かを強制するような圧力的なところは微塵もないのだけれど、女将さんのこだわりは相当であろうと思います。それが維持できなくなったと女将さんが感じるようになったということでしょうか。
お酒を口に含みます。驚くほどのボリューム感。舌先に雲が広がって、それが下全体を包み込むように喉に向かって降りていき、心地よいアルコールの痺れが口中に行き渡る感覚です。一口目のお酒に感じたのは、圧倒的な粘度なのです。これほどまでに舌にまとわりつくお酒を飲んだことがありません。前回ここで飲んだときよりもそれを強く感じました。
きのことおろしを口に含みます。淡く辛みの残った大根の中からきのことしゃきっとした歯応えが顔を覗かせます。そしてまたお酒を一口。ふぅ、旨い。ここは考えてみると、たんぱく質は何も供されないのですね。そのことにまったく不満はないですけど。
「お蕎麦をおもちしますか?」
「お願いします」
まず、蕎麦つゆと薬味がなぜか二皿運ばれてきます。これはきっと、私の推測では、年配の常連のお客さんが必ず薬味をおかわりしていて、面倒くさいから二皿最初から出してよ、なんてやりとりがその昔にあったからではないかと思っています。年配の男はわがままですからね。
「本当はね、田舎に帰って私の実家のあたりでのんびり蕎麦屋をやろうかと思っていたんですけど、ほら、いろいろ取り巻きの方がうるさくて。結局、駅前にお店を出すことになったんです」
やがてせいろが運ばれてきます。玄蕎麦の色合いを強く残した田舎蕎麦です。エッジのはっきりした太めの蕎麦を、そのまま食します。旨い。よい香りが口中から鼻腔に広がります。この前食べたときよりも美味しく感じます。このまま一枚食べてしまいそうですが、気が変わってもり汁につけて食べてみます。おお、この汁がまた非常にいい。鰹の風味がきちんと効いているのですが、それが蕎麦の香りを邪魔するでもなく、渾然一体となるイメージ。甘すぎず、からすぎす。いいなああ。
女将さんが近づいてきたので、お蕎麦をもう一枚所望します。
きょうは本当に満席状態が続いています。ウェイティングの人が何組か、といった状態です。一人客の男性が女将さんに「席を詰めましょうか」というと、女将さんはそのお客さんの脇で屈むようにして「そんなこと気になさらないで、のんびりしてください」と。彼は安心してお酒のお代わりを頼んでいました。
二枚目のせいろを平らげると、漬け物が運ばれてきます。野沢菜にたくあんに生姜のどぶ漬けのようなもの。ここでお酒に戻りたくなるんですが、美味しい蕎麦湯が土瓶にたっぷり出てくるので、それで温まりながら、漬け物をポリポリと楽しみます。私は無類の漬け物好きなので、これもたまりません。かなりの量の漬け物が出てくるんですが、私はそれをぺろりと。塩分のことは棚上げです。
蕎麦湯もトロトロで文句なし。ああ、滋味滋味。最後まで飲み干します。最後に甘味まで出てきます。前回は花梨でしたが、今回は羊羹のようなもの。「ここに置いておきますね」とあまりの忙しさに、女将さんも少し申し訳なさそうですが、これが何だったのか聞くことはできませんでした。上品な甘さで、ちょうどよかったです。
お茶をいただいて、さて、暇を告げることにしましょう。お勘定をしながら女将さんに「なんとかもう一度、来ますね」と宣言。
「ありがとう。お花の季節が終わってからが嬉しいわ」
おお!そうだったのか。年配の花見客がここに流れてきていたんだ。もしかしたら、予約もせずに入れる余地などなかったのかも。勝手に坐っちゃいましたからねえ。すみませんでした。
でも、ごちそうさま。さて、必ずもう一度行くぞ!
S城に関する以前の記事はこちら>>>「たゆたう蕎麦前のひととき S城」
2005年の今日の記事はこちら>>>「名店の並びに、名店あり」
2004年の今日の記事はありません。
□□□きょうの「食」ヘッドライン・ニュース□□□
第3のビール大増産中 増税前まとめ買いに期待
つまみ・カレールー……景品付48缶パックも
(朝日新聞から)
by mesinosuke
| 2006-04-11 11:42
| ▷soba