2007年 03月 07日
あの鮨屋にふられて、一二三のっとKつ井
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久し振りというのは、おそらく一年振り程度である。それには訳がある。お店にはまったく非はないのだが、嫌な思い出があって、どうしても足を向ける気にならなかったのである。繰り返しておくが、お店にはまったく非はない。
もうすぐ閉店。こういうときは普段はそんなに顔を出さない(まさに私のような)人が押しかけるのが常である。開店と同時に入らなければ、おそらく無理だろうということで、開店直後に引き戸を引いた。
先客はなし。だが、なんと、若女将が先ほどの予約の電話で、きょうは一杯になってしまったというのだ。しかも一年ぶりだったものだから、最後の日にいろいろあったものだから、何時頃なら入れるとか、可能性を提示してくれるでもない。
ここは潔く諦めることにした。一年前からその店とは縁がなかったのだ。そう思うと、それはそれでよいという気がしてきた。だが、てっきり鮨が食べられると思っていた愚息は、腹が空いているらしく至極不満顔である。
そのとき、Kつ井を思い出した。本当はちょっと気分は違った。こまっしゃくれた店で飲む心もちではなかったのだが、まあ、肉料理もあるし愚息を黙らせることはできるだろうと、地下のその店へと向かったのである。
広々とした空間に、小上がりというには広いが畳の場があって、子連れの客が一組炭火で串焼きを楽しんでいる。奥の席では何組もの人たちがテーブルを囲んでいる。どちらでもいいということだったので、一瞬迷ったのだが、椅子席で愚息に退屈がられるとやっかいかなと思って、畳の席に上がることにした。
燗酒(若い仲居さんは銘柄を知らなかったので、聞いてもらったところ、T鶴だという)に太刀魚の刺身、今月の前菜盛り合わせ、牛のみぞれなんとか、くろむつの煮付けなどを頼んだ。酒は旨かった。徳利は蝸牛のようなユニークな形をしており、けっこう使い勝手がよかった。料理も決して不味くはないと思うのだが、なんというか鮨の気分を引きずっていたために、どうもしっくりこなかった。子連れが楽しむような料理ではないということなのかもしれなかった。
さて、目当ての蕎麦である。旨かったのかと聞かれると、普通かなというのが正直なところだ。しかしもう少し食べたかったので、もう一枚せいろをお願いした。これが驚きだった。まったく印象が違うのである。蕎麦の太さというべきか、細さというべきか、まずそこが違うので、口中での印象が違う。二枚目の方が細いので、腰の弱さが気になって、べとつく印象だ。これは違う人間が打ったとしか思えない。本当のところはどうなんだろう。
この店は、個室をとって、法事のあとなどに親戚で集う、そんなタイプの店だなとうのが私のこのときの感想である。
ごちそうさま。
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by mesinosuke
| 2007-03-07 17:06
| ▷soba